慶応創業

いしやの歴史

写真  仏教信者石丸吉兵衛は、朝暮お末寺参り(東本願寺別院)を念願として、遂にお末寺前に煮売り屋の暖簾を下げました。慶応二年のことです。
 いただき、ふり売り、山村の人達が心安く気軽に腰掛けて弁当をひらく大衆食堂が最初でした。  
 味噌汁一椀、煮肴一皿、それで満足して弥陀本願の喜びを頒ち合ったことです。石丸氏二代のあとを受けて宮川氏四代、三界火宅の荒波の中、ひとすじに「いしや」の暖簾を守りつづけて来ております。
  経営方針 : 慶応から平成まで、お客さまの満足が 第一番
  こんな話あんな話  別院参りの善男善女がその帰りに「いしや」に立ち寄り、弁当をつかうのが楽しみの一つであったのですが、中には、ここでの「ちょっと一杯」が目的となり、さらに嵩じては、別院の方は失敬して、ここだけで戻るという門徒衆もあったそうで、これを「いしや参り」といったという。